おもしろきこともなき世をおもしろく。ってこんな話かな?

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高杉晋作の死後、愛人おうのは、晋作(東行)の菩提をとむらうため、東行庵に入りました。


そして明治14年 曹洞宗 総本山 永平寺管長久我環渓禅師が長府 功山寺を訪れたときに、髪を落として出家し、「谷梅處(たにばいしょ)」と名乗って、初代庵主となりました。

梅処尼は、日夜読経して東行の菩提をとむらい、明治42年(1909年)8月7日 67歳でこの世を去りました。
「谷」の姓は、晋作が晩年 藩主から授かった苗字で、晋作の死後、梅処尼に引き継がれたものです。

ドSかどうかはわかりませんが、かなりの遊び人だった事は間違いないありません。

吉田 松陰主宰の『陰下村塾』一の異端児にして、一番の実力者だったと思います。

が、明治維新後も存命であったとしても、要職には就けなかったというか、就かなかったと思います。

そのくらい破天荒な生き方をし、常に『酒、女、金』の問題がついてまわる男でしたので、そういう一面もあったのかもしれませんね(笑)おもしろきこともなき世をおもしろく。ってこんな話かな?

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このページは、freeplus_seoが2010年1月19日 17:07に書いたブログ記事です。

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